2014年09月17日

『パールへの道』11:ドイツと川崎

あらためてカードゲームについて調べてみると、そのメッカはドイツでした。カードゲームに限らず、テーブルゲーム全般に関してですね。
かれこれ20年ほど前ですが、ぼくはドイツに一度だけ旅行をしたことがあります。OPELのデザイン・コンテストで広告賞をもらい、その副賞でドイツとオーストリアに連れていってもらったのです。印象は先入観通りといいますか、清潔で堅実。大変気持ちの良い旅でした。

ぼくを知る人がすれば、「スギオカらしい」「カズキっぽい」という感じではないでしょうか。自分でもそう思います。特に田園風景が素晴らしく、バスから眺めてうっとりしたものです。
なので、カードゲームを通じてドイツとのかかわりができることは、ちょっとした喜びでした。
これまた先入観ですが、ドイツ人のきっちりしているところがゲームのルールを考えるのに向いているのかも知れません。

いろいろと調べた後、最初に買ったのは『ごきぶりポーカー』というカードゲームでした。
ゴキブリだけでなく、ハエやカエルといった嫌われている動物をお互いにおしつけあうゲームです。トランプの『ダウト』に似ていますが、もっと辛辣で、負ける人を一人だけ決めます。シンプルなルールで、かなり盛り上がるゲームです。
個人的に響いたのは、8種×8枚づつというカード構成でした。その枚数の美しさ! ちなみに、青い街のロゴはデジタル数字の「88」をあらわしています。


青い街と言えば、名前の由来は『ブルーシティー』というマンガです。小学4年生の時に読んだそのマンガがもう好きで好きで大好きで、カードゲームをつくり始める時にメーカー名にしてしまいました。
そのままブルーシティーにしなかったのは、「何故、英語?」と自問したからです。一方、ゲームのメッカがドイツならば、ブラウシュタットでも良いわけです。もちろん「何故、ドイツ語?」という疑問は生まれます。
いろいろ悩んだ結果、まずは日本語にしておいて、訳す必用があれば「ブルーシティー」なり「ブラウシュタット」にすればいいと考えました。

ちなみに、『ブルーシティー』が掲載されていたのは週間少年ジャンプでした。先にジャンプを買い始めたのは岡本くんで、やがてぼくも買うようになりました。ロボットや宇宙船がSFのテーマだった時代において、海底都市で人が生きていこうとする『ブルーシティー』は圧倒的な先進性でした。
それから30年が経ち、岡本くんと息子の暁くん、加えてぼくと息子2人の5人で『ごきぶりポーカー』をプレイしたのは感慨深い思い出です。


その後も『ハゲタカのえじき』『クーハンデル』『サメ警報』など、いろいろなカードゲームを買い求めました。ドイツのゲームには本当にお世話になっています。青い街のゲームがドイツ語タイトルなのは、ある種のオマージュです。そこではあまりひねらず、素直にドイツ語にしました。

さて、子供たちとも遊びましたが、大人と一緒に研究する場も欲しいと思いました。先々は自作のテストプレイをお願いしたかったこともあります。
「カードゲームで遊ぶ会」と銘打ち、友人・知人に声をかけました。場所は自分の都合を優先させる形で川崎。公共施設の会議室を使うことにしたからです。教育文化会館という建物の会議室を借りて、みんなには交通費だけを負担してもらいました。
毎回10〜15人が集まってくれて、楽しく「研究」したものです。

ところで、研究したからといって自分でゲームがつくれる保証はなかったわけですが、そこは全然心配していませんでした。おさない時からその志向があったせいか、根拠のない自信がありました。
そうして第1作目の『UNGERADE/奇数』が誕生します。


ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
さて、次回は「パール誕生」です。


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posted by Kazuki at 11:41| 『パールへの道』

『パールへの道』12:パール誕生

1作目の『UNGERADE/奇数』は、神経衰弱をベースにしたゲームでした。
ただし、手札を使って仕込みもつくれるので、ブラフ(はったり)の要素もかなり入っています。
カードは6点×5枚、5点×7枚、4点×9枚、3点×11枚、2点×13枚、1点×15枚という、変則的な構成です。が、きれいな等比級ですし、全体で60枚なので2〜6で割り切れます。つまり、各自にきっちり同じ枚数が配られるわけです。作者としては、そのあたりの構成に快感を覚えるゲームでした。
いや、ゲームとしても良くできていますよ。青い街の中では、もっとも安定的な人気があります。


さて、カードゲームの会では前半にいろんなゲームで遊び、後半に『タブラの狼』をプレイするのが通例になっていました。『タブラの狼』は、いわゆる人狼ゲームです。
村人は、まぎれこんでいる狼男を当てることができれば勝ち。逆に狼男は自分たちと同じ人数になるまで村人を減らせれば勝ち、というルールです。村人になれば自分以外の全員を疑うことになるため、とてもドキドキします。一方、狼男になったら正体が隠さなければならないので、やっぱりドキドキ。どちらになっても、心拍数の上がるゲームです。
他のことではあまり味わえない体験と言えるでしょう。芸能人を使ったテレビ番組がつくられ、都内にはプレイスポットもできて、今やテーブルゲームの牽引役になっています。

10人前後で一番楽しく遊べるので、カードゲームの会にはもってこいでした。
ただ、「必ずしも全員がやりたいわけではないのかな?」というのが、主催者としての悩みになっていきます。
前述したように緊張感の高いゲームですし、死んだ人はしゃべってはいけないなど、けっこう窮屈なルールもあります。最初はもの珍しさもあって本当に全員が楽しんでくれていましたが、徐々に微妙な空気を感じるようになっていきました。


『PAAR』は、そんな流れの中で考え出したゲームです。
気持ちを探りあうのではなく、結びつく形にできないだろうか、というイメージが出発点でした。
とはいえ、もちろんいきなり完成形を思いついたわけではなく、最初はトランプの『ナポレオン』のようなルールを考えていました。配られたカードで役が決まり、密かに協力する感じですね。しかし、それでは人狼と同じベクトルです。
それとは逆のことがしたかったのでは? との自問から「最後に結びつく=結びついて上がれる」というイメージができました。そこからゲームにまとめるまでは一気でした。

何かを思いつくのは、ずっと同じ問題を考えていて、そこから一旦離れた時だと言われます。ぼく自身もそんな感じです。ルールを考える時には四六時中それが頭にありますが、その延長線上ではアイデアは出てきません。ふとした時に、ポンッと飛躍する印象です。
ありきたりですが、ひらめくというか、向きが変わるイメージだと思います。


ところで、『PAAR』を最初にテストしたのは、ホームグランドの川崎ではありませんでした。常々一泊してゲームをする「合宿」をしたいと思っていて、ちょうどそれを実施するタイミングだったのです。
宿泊場所は相模湖近くにある桐花園という施設でした。本来は水泳を中心としたスポーツ合宿をやるようなところですが、そこで思い切りインドアな企画を立てたわけです。
あっ、バーベキューなんかもしましたよ。気のあう仲間との充実した時間でした。

さて、テストプレイをしてみると、細かい調整意見をいろいろともらうことができました。最初は手札を3枚にしていましたが、4枚にした方が確率的にちょうど良いとか。
自分だけではつくりきれないところに、カードゲーム制作のおもしろさはあります。『PAAR』を形にできたのは、合宿に参加してくれたみんなが助けてくれたおかげです。
そして、年齢や性別の違う人の集うなごやかさが、やっぱりそこにもありました。
桐花園自体が山の中にあって、自然を満喫できる場所だったこともあるのでしょう。いとことトランプをした父の田舎と印象のダブる、とても楽しい合宿でした。


ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
さて、次回は「3.11の記憶」です。


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posted by Kazuki at 11:40| 『パールへの道』

『パールへの道』13:3.11の記憶

3.11には会社で仕事をしていました。
非常に大きな揺れを感じましたが、かなり冷静に行動したはずです。揺れがおさまった後、念のため会社の裏手にある小学校の校庭に避難しました。そこには近隣の会社からたくさんの人が逃げていて、たぶん200人くらいはいたと思います。
何が起きているのかよくわかりませんでしたが、引っぱり出されたテレビには千葉のコンビナート火災が映し出されていました。各現場のチーフ陣と話し合い、できるだけ早めに帰宅することを決定。ただし、その時点では東北の津波被害などはわかっていませんでした。

ちなみに、ぼくはその界隈の防災協議会に参加をしていました。
餅つきがきっかけでできたご縁でしたが、会長の大塚さんという方に誘われてちょくちょく集まりに顔を出していたのです。平日の日中はおおむねそこにいるわけですから、働いている場所の防災組織への参加は理にかなっています。
実際、3.11でも大塚さんと顔をあわせてお互いほっとしたものです。「知ってる顔があると安心できるから、日頃のつきあいが何よりの防災だね」とは、大塚さんの言。大好きな人生の先輩です。


さて、3.11の直後は「何かできることはないだろうか」と、精力的に動きました。気持ちがからまわりすることもありましたが、何しろ一所懸命でした。人生で初めて災害関係の寄付をし、援助の意志のある人と連絡を取りあい、現地のボランティアにも参加しました。
たぶん、同じ揺れを地続きで感じたことが原動力になったのだと思います。

一方、首都圏にはしばらくの間特別な空気が流れていました。
原発事故は余談を許さず、東京はそれまでにない顔をしていました。不必要な電気は消され、テレビも多くの番組を自粛。全体として、とてもまじめだったように思います。

誤解を恐れずに言えば、ぼくはその状態が嫌いではありませんでした。
行き過ぎた消費に心を痛めていましたし、原発推進にもずっと懐疑的だったからです。
いずれにせよ、原発関連のいろいろな嘘があきらかになり、「きちんと考えていこう」という空気が共有されていたと思います。また、「東北の復興をみんなで支えよう」という、共生の息吹きも感じられました。
亡くなられた方への哀悼と福一事故に無念を覚えつつ、それでもなお希望が背中を押してくれる感じでした。


しかし、半年経ったくらいからでしょうか。東北の痛みは徐々に巷から薄れていき、人工の光と喧噪が東京に戻ってきました。あれほどみんなが懐疑的になったテレビも、結局根本姿勢を変えはしませんでした。
もちろん、そうでなければ資本がまわらないことはわかります。ただ、忘れてはならない問題がいとも簡単に押し流されていく状態に、強い違和感を覚えたのです。
原発を再稼働させたり、輸出したりすることも平気で口にされ始めました。

ここでは、政治的な立場や見解に深入りするつもりはありません。ふれたいのは、この連載がずっとたどってきた「記憶」の問題についてです。
今現在も避難所生活を送っている方はいらっしゃいますし、福一だってほとんど収束していません。なのに、東京は3.11以前と変わらない状態に戻っています。その記憶のギャップ…。
自分と状況がかい離していき、何とも言えない孤独を感じるようになりました。

世の中との感覚的なズレは3.11以前にもあったと思います。ただし、それは長年の積み重ねでもあり、一応の折り合いはついていました。が、一旦「あっ、これで日本は変わるな。みんなで力をあわせていこう!」と思ったところからのギャップは、扱いに困るものでした。
完全に一人ぼっちだったわけではありません。時折会う親しい友人とは認識をともにしていました。しかし、だからこそ日常生活の違和感がふくらんでいったようにも思います。


ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
次回は、いよいよ現在に重なる「研修とうつと起業」です。


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posted by Kazuki at 11:39| 『パールへの道』

『パールへの道』14:研修とうつと起業

3.11の記憶が世間から薄れるのに反して、ぼくはそこに留まり続けました。意志があってそうしたのではなく、自分にとってはごく自然な状態として。簡単に忘れられる問題ではなかったからです。しかし、その亀裂が大きくなるにつれ、気持ちのバランスも崩れていきました。
村土くんの言葉を借りれば、ぼくは「忘れられないバカ」になっていったわけです。

そんな中、会社の指示で研修を受けることになります。某大手企業が実施する管理職研修でした。
研修自体はよくできていたと思います。それまでの在り方を振り返り、この先どうしていくべきかを模索する内容でしたから。けっこうな費用をかけてもらっているのは知っていたので、自分の気持ちを押し殺して頑張って取り組みました。

しかし、今から思えば、それは無理のし過ぎでした。
よくできた内容だったからこそ、メタ感覚の強いぼくには枠組の強さが極度のストレスになりました。前提のフレームは問題にされないのね…と。また、内容が旧態然としていたことも、そこへの回帰を悩むぼくにとっては重いものでした。つまり、「どうしていくべきか」は、あくまで「3.11以前の在り方」だったわけです。
弱いと言われればそれまでですが、自分で制御できる領域の話ではなく…。たまっていた不安と心労がついにあふれ、ぼくは壊れてしまいました。

人生で一番つらい数ヶ月でした。出勤するのが極度の苦痛になり、座っているのがやっとという時もありました。あるいは、休日にほとんどふとんから出られなかったり…。それは人生で初めての経験でした。結局、病院に行ってうつの薬を出してもらいます。また、少し長めのお休みを取ったりしましたが、いろんなことをごまかす生活でした。


悶々とした苦しい日々が続きました。
最終的に、その他の問題も重なって会社からは離れざるをえなくなります。一方的なリストラなどではありませんでしたが、ことの流れを思えば残念と言わざるをえません。年が年だけに、厳しい話でした。

ただ、妻は気持ちの部分を一番に心配してくれました。「何かやりたいことはないの? 悔いが残る人生はよくないよ」と。
もちろん、一番やりたいのはカードゲームをつくることでした。人生の全体を通して、そこに行き着いたのですから。いろいろと不安はありましたが、ともかくぼくは青い街の創業に舵を取りました。その時点では、自分に正直になる以外、気持ちを立て直すことができなかったからです。結果として薬への依存はやめられ、今日に至っています。

そうした経緯ですから、ビジネス全体によくできた計画があったわけではありません。幸い、作品自体はすでに4つあり、5・6作目もほぼまとまっています。いずれも自信があり、評判も悪くはありません。が、それらを売っていくのはまた別問題。日々、試行錯誤をくり返しています。

そんな内情は正直に言うべきではないのかも知れません。つらくてもそう見せないのが経営者だとも思います。しかし、ここをごまかすのはフェアじゃない気がするのです。
そして、もしかしたらぼくと同じように苦しんでいる人に、「一人じゃないよ」と伝わるかも知れません。特に3.11の後遺症はいろんな形で潜んでいる気がします。孤独はつらいことですから、救いの可能性はとても大切だと思うのです。


さて、経営自体は今日・明日に破綻するわけではありませんが、印刷代はやはり大きな負担となります。クラウド・ファンディングに参加しようと思ったのは、そのリスクをコントロールしたかったからです。8月初旬に一気に構想をまとめました。

どのゲームを対象にするかは少し悩みました。
新作はネタばれになってしまうため、あまりよろしくありません。『UNGERADE/奇数』とどちらにするか迷った結果、『PAAR/恋人同士』を選びました。知らない人とつながる意味でも、それはピッタリの選択だったと思っています。

クラウド・ファンディングに参加して嬉しかったのは、友人からの支援です。また、久しくやりとりが途絶えていた知人からも応援してもらいました。
さらに、直接は存じ上げない方からの暖かいメッセージには本当に励まされています。
そして、青い街の活動全体に興味を持ってくれた田原真人さんの提案で、この文章を書き始めました。感謝すべき出会いであり、貴重なつながりでした。


ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
さて、次回は最終回、「平和への道」です。


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posted by Kazuki at 11:38| 『パールへの道』

『パールへの道』15:平和への道

忌野清志郎さんが「地震のあとには戦争がやってくる」と言ったように、政治の世界は何だかドンドンきな臭くなっています。秘密保護法や集団的自衛権、辺野古の基地問題など、ニュースは軍靴の響きが聞こえてきそうな内容で一杯です。潜水艦をオーストラリアに売却するという、武器輸出の話すら出ています。
3.11の風化と歩調をあわせるように、さまざまな問題への無関心が広がりつつあります。

では、なぜ戦争はいけないのでしょう?
それぞれの人が様々な理由を思い浮かべると思いますが、ぼくは人が死ぬから嫌なんです。人が死ねば、どうしたって悲しむ人が出ます。特に死んだ人の母親ですね。
母親にわが子の死を嘆いて欲しくないわけです。もちろん事故や病気など致し方ない死因もあります。避けようと思っても、避けられない悲しみですね。
しかし、だからこそ人為的な戦争で子供に死んで欲しくない。それは敵であっても味方であっても関係ありません。

ぼくは戦争の悲惨さを直接には知らない世代です。しかし、わが子を亡くした母親の痛みには、間近で触れて育ちました。
ぼくは5歳の時に感じた責任を、別の形で果たそうとしているのかも知れません。


ですから、小さなカードゲーム・メーカーであっても、「世界平和」は本心なのです。
シンプルなゲームにこだわっているのは、年齢や性別、さらには言語や国籍を超えて楽しんで欲しいから。言葉の壁をできるだけ簡単に超えられるよう、ルールやデザインに心をくだいています。
人と人とのつながりこそ、平和のいしずえだと思うのです。ぼくらのアイテムがその一助になってくれれば、これほど嬉しいことはありません。

そうして手を上げ、声を出したからこそ、まったく予期していなかった方々とぼく自身もつながり始めています。中でもアチーバス・ジャパンの方々との交流は、思いを同じくするものでした。


さて、クラウドファンディングは明日が最終日。目標までは厳しい感じですが、この活動を通して得られたものは小さくありません。
まずは、クラウドファンディングにご支援いただいたみなさんに感謝です。ありがとうございました! 逐一お名前は上げませんが、その中には記事に登場してもらった岡本くんも入っています。
※目標未達の場合、お支払いは発生いたしません

それから、この連載を提案してくれた田原真人さんには本当に感謝しています。田原さんの薦めがなければ、この文章を書き始めることはありませんでした。
また、サポート記事を書いてくれた森幸代さん、南佳介くん、長谷部和美さんにも深く感謝します。本来的な意味で、ありがたいことだったと思っています。
みなさんのおかげでここまでの流れを、きちんとまとめることができました。読んでいただいた方にも感謝です。

最後にぼく自身の家族へ。
両親と祖父母、妻と息子たち。さらにはいとこたちへ。あらゆる時間が愛おしく、大切な思い出になっています。暖かい記憶と未来への希望こそ、人にとって何よりの宝物ではいでしょうか。
奇しくも、明日は妻の誕生日。一番感謝したい、感謝しなければならない人ですね。愛しい息子たち、その兄弟の母でもあります。明日は彼女の大好きなビールを買って帰ろうと思います。


最後までお読みいただき、ありがとうございました!
posted by Kazuki at 11:37| 『パールへの道』