2012年05月22日

解かれた書籍としてのカード

もともと本が好きで、仕事もそれに近いところにいるのだけれど、一方で長い間本の「在り方」に対してある種の違和感を持ち続けていた。それが何なのかずっと分からないままだったが、ちょっとしたご縁があって製本を学んだ時、ようやく積年の謎が解けた。本を綴じるとは、言葉を絞めて殺すことなのだ、と。
いや、それが悪いというわけではない。そもそも、解るとは分けることであり、知と死は常に背中合わせである。紙の束が綴じられることで魅力を放ち始める不思議は、昆虫の死骸が標本箱の中であらためて輝き出すことに似ている。
ただ、どうやらぼくはその箱をひっくり返す奔放、あるいは飛びまわる蝶、つまりは活きることにより惹かれる性分らしい。一旦固定されながらも、くびきを解かれて動き出す文字を「活字」と呼んだ。動くことがすなわち「活きる」ことなのだという、そのイメージがもう一段思索を進めるきっかけになってくれた。ぼくにとってのカードは、綴じられることを待つ紙ではなく、一旦本になった後、あらためて解き放たれた紙片に近いのである。

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posted by Kazuki at 16:12| 『日々これ紙片』