2014年09月17日

『パールへの道』9:家族の肖像

『家族の肖像』と呼ばれる絵画ジャンルがあります。
英語で『Conversation Pieces』。直訳すれば「会話の断片」といった感じでしょうか。イギリスで17〜18世紀に流行し、やがて家族写真に発展していく文化の原型です。

その時代、イギリスでは囲い込み運動と産業革命によって新しい富裕層が生まれていました。『家族の肖像』は、そうした家族を描いたものです。美術史的にはメイン・ストリームから完全にはずれていて、実際あまり高品質な作品はありません。あくまで家族の記録が目的の、趣味的ジャンルでした。

ただし、文化史的にはけっこうおもしろい作品群でもあります。
ぼくが着目したのは視線のバラつきでした。
画面からこちらを見返す視線は、ノンフィクションで使われます。ニュースなどがそうですね。一方、フィクションの視線はカメラの存在を透明化し、こちらを見返すことはありません。本来それらは混在しないのですが、『家族の肖像』ではけっこうな頻度で混ざりあっているのです。

たとえば、ニュースでキャスターが画面のこちらを見ないでしゃべったら、何だか居心地が良くありません。「おいおい、誰に向かってしゃべってるんだよ」と。一方、ドラマの中でカメラを見返す人が出てしまうと、「あれ? 作り物だってわかってるの?」となります。つまり、枠組に対するアプローチが両者ではまったく異なっているわけです。
おそらくジャンルの黎明期だったので、混在がおかしいとは認識されなかったのでしょう。しかし、それらが併置されることで、『家族の肖像』のいくつかは仲が悪そうに見えます。


しかし、こんな見方もできると思います。家族とは、本来バラバラの性質を持っている集団だ、と。もともと他人だった夫婦を核にして、意見や嗜好が違っても、とにかく一緒に住んでいるわけです。ある集団を家族として意味づけるのは、実は「一つ屋根に下に住んでいる」という物理的なしばりなのかも知れません。
その意味で、絵画のフレームは家屋の比喩とみなすことができます。

奇妙な偶然が重なっていると思います。
「家族」は、ぼくが小さい頃から気にかけていたテーマです。一方、枠組に対するメタなアプローチもぼくの特徴でした。『家族の肖像』はその両方を満たしていました。

そうしたことを1年かけて論文にまとめ、ぼくは大学をあとにします。
もともといたのは実技コースでしたが、その考察を論文にするため茂木博先生に師事しました。茂木先生は温厚で博識、軸のぶれない美術史の先生でした。
その後、ニューヨークで川島猛さんや河原温さんのアシスタントをしたり、帰国して広告代理店や出版社に勤めて年齢を重ねました。
30歳の時に結婚し、男の子二人に恵まれます。もちろん家族写真もたくさん撮りました。人生でふたまわり目の『家族の肖像』でした。


そして、30歳からの10年間はほとんど作品をつくらず、子供たちとの時間を一義に過ごしました。
時折コンセプトを練ったりスケッチを取ることはありましたが、それらは発表のためではありませんでした。
気持ちに変化が起きたのは40歳になった時です。人生の半分を過ぎた感慨と子供たちが自分で遊ぶようになったことから、ちょっとした気持ちの変化が起きました。あらためて展覧会を考えるようになったのです。

そこから2年ほどかけて作品を準備し、2007年7月7日からの7日間、東麻布の画廊で個展を開きました。展覧会のタイトルは『家族の肖像/兄弟という相似形』。それまでの人生の集大成だったと言えるでしょう。弟の死から37年、論文を書きあげてから17年ほどが経過していました。
ぼくは「やりたいことをやるには時間がかかる」と考えていたので、ちょうど良いスパンだったと思います。オープニング・パーティーにはたくさんの人が来てくれて、作品もひとまず完売。充実した一週間でした。


なお、今回の記事に関連する資料はこちらのサイトに掲載しています。
http://k-sugioka.sblo.jp


ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
さて、次回は「動くことは活きること」です。


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posted by Kazuki at 11:43| 『パールへの道』