2014年09月17日

『パールへの道』5:メタ視点

自分の生き死にを考える習慣は、人生をメタにながめる気質につながりました。やろうとすることが自分にとってどういう意味があるのか、ついつい考えてしまうのです。
「メタ」というのは「高次の〜」といった意味です。現象の閉じた世界を、一段引いた次元で捉えるアプローチを指しています。ぼくにはあまり際立った才能はありませんが、もっともユニークなのはこのメタ感覚だと思っています。

たとえば、こんなナゾナゾがありました。『刑事くん』と『刑事コロンボ』と『金田一耕助』では誰が一番優秀でしょう? 答えは『刑事くん』。30分番組なので、一番早く犯人を捕まえられるからです。
昔のナゾナゾなので、選択肢がちょっと古いですね。今なら『名探偵コナン』や『金田一少年』を入れるべきでしょうか。いずれにせよ、メタ視点とはフィクションをフィクションとして捉える、そんな感じの見方です。

より深く楽しんでいるとも言えるし、全然楽しんでいないとも言えます。作られたものに接すると、強く作り手を意識してしまうからです。
たとえばアニメなどを見ても、その世界に没頭する一方で、それが「どうやって作られているか」に強い興味がわきました。アニメが一枚一枚手で描かれ、色がぬられていることを知った時には、クラクラしたものです。


そうした意味で、クリスマスは悩みに満ちています。
今では有名な話ですが、サンタクロースの服が赤いのはコカ・コーラの宣伝だから。そうでなくても、一人で世界中の子供にプレゼントを配ってまわるというサンタの設定には無理を感じます。
ちなみに、うちではサンタクロースは最初からいないことになっていました。それが、お金がなかったからなのか、仏教徒だったからなのか、煙突がなかったからなのか。ともかく、ぼくは彼がいるとは一度も思ったことがありませんでした。

これは正直な気持ちですが、サンタクロースがいることを子供に信じ込ませようとする大人の努力が、どうもよくわかりません。
一度だけそれっぽいプレゼントをもらったことがありました。朝起きたらツリーの下にローラースケートが置いてあったのです。ただし、当然のように誰がくれたのかを親にたずねました。親の方も「あぁ〜、それは森澤のおじさんがくれたので、ちゃんとお礼を言っておいてね」と。それって夢がないのかな? お礼を言う方がいいことだと思うんだけど…。サンタ問題はちょっと苦手です。


もう一つ、メタ視点を育てるきっかけになったのは、転校が多かったことだと思います。
父が銀行員だった関係で、けっこう頻繁に転校がありました。ぼく、小学校は4つ行っています。

同じ県なら方言も同じか近しいわけですが、県をまたぐと言葉がかわります。それは揚げ足を取られるかっこうの題材だったので、まわりの子供がしゃべるのを聞いて一所懸命にあわせていました。
行く先々で「方言出ないね」と言われたものですが、いや、出ないようにしてたんです。言葉に対するメタな感覚がつちかわれました。

ただし、一度授業中に見事な失敗をしたことがあります。小学校2年生の夏に、山口から岡山に引っ越したのですが、そこでは習うテンポが少し違っていたのです。
きっかけは算数の時間。問題を読むように言われた子が数式を読み上げました。その時初めて「かっことじる」という言葉を聞いたのです。何、それ? かっこって前だけ読めばいいんじゃなくて、終わった時にとじるの? 頭がグルングルンしましたが、方言をあわせるように「あっ、そうか、そうなのか…」と納得しました。

続く国語の時間。今度はぼくが当てられて、教科書を読むことになりました。で、出てきたのです、かっこが…。読んでいる時にとてもドキドキしたことを覚えています。このかっこは、とじるべきなのか、とじなくてもいいのか…。
ただ、郷に入れば郷にしたがえで、ここではとじるべきなんじゃないかな。そう思って、少し小さな声で、かっこをとじました。

すると、クスクスっと笑い声がして「コイツ、今『かっことじる』っていったぜ」という声が聞こえたのです。えぇ〜っ、このかっこはとじなくてもいいのかよぉ〜。大したことではありませんが、けっこう傷ついた思い出です。


さて、転校も記憶にアドバンテージを与える一つの要因でした。
ほとんどの人は同じ場所で育つと思いますが、そうすると時間は区切られることがありません。一方、場所が変わると、時間の記憶が整理されるのです。

たとえば、『山ねずみロッキーチャック』というマンガがありました。カルピスまんが劇場という枠で放送された番組ですが、これがいつ頃の番組だったか、『アルプスの少女ハイジ』とどっちが先だったのか、という話によくなります。
が、ぼくはそれを岡山で見た記憶があるため、1973年頃だと類推できるのです。また、ハイジはその後広島に転校してから見たので、これまたハッキリそちらが後だと断言できます。

実は、記憶は場所と密接に結びつけられます。西洋には記憶術という歴史がありますが、これは対象を場所にひもづけて覚える技術です。
たとえば「りんご、ギター、帽子、プラモデル」という単語が示された時、それをどうやって覚えるか? り、ギ、ぼ、プと頭文字を覚えていくやり方もあると思います。が、それでは7〜8個が限界ではないでしょうか。それに、単語の続きがすっと出てくるわけではありません。

場所のイメージを活用すると、もっと生き生きとした記憶が形成できます。先の例で言えば、「家のドアを開けると玄関に『りんご』が置いてある。廊下にはギターが立てかけてあり、居間に入るドアにはなぜか帽子がかけてある。ドアを開けるとテーブルにプラモデルが置いてあり…」と。こうしていけば、かなり延々とものが覚えられます。
円周率を何万桁も覚えている人がいますが、ある人はそれと同じやり方をしていました。散歩をしながら、光景に数字を当てはめていく方法です。


そうしてみると、『神経衰弱』はまさしく記憶と場所が密接に結びついた遊びだったことに思いいたります。「転校が多かった」というのは、つまるところ場所への愛着を求める気持ちにつながっていたのかも知れません。


ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
さて、次回は「岡本くん」です。


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posted by Kazuki at 11:47| 『パールへの道』