2012年06月23日

1枚の扉

高輪プリンスホテルの別館。前を通るだけで、中に入ったことはない。

aoimachi-2012-06-23T12-00-14-1.png


next4.png
posted by Kazuki at 12:00| 『数・限りなく』

iBooksが楽しい

携帯の2年しばりとiPadの2年分割が切れるタイミングが重なった(というか、2年前にそういう組み合わせを選択した)ので、遅ればせながらiPhoneを購った。世のスマホブームにあからさまに乗った形が少々気恥ずかしいが、そもそもiPhone自体が世界中で何千万台も出まわっているモノだから、そんなところでオリジナリティーを気にしても詮なき話である。
で、何が嬉しいかというと、以前の外出手ぶら状態に復帰できたこと。そして、意外に「本=電子書籍」が実用的であること。ブラウザーはiBooksを使っている。このアプリ、日本ではまだ販売サービスが始まっていないが、自分で加工したEPUBを読み込ませれば普通に使える。シンプルかつ動きが微妙にエロティックで、気持ちいい! 2年前にiPad版を初めて見た時、「あぁ〜、こりゃかなわんなぁ〜」と関心したことをあらためて思い出した。片手で読めるのも嬉しいし、見開きではなく単ページで表示されるのが、カードに通じておもしろい。

next4.png
posted by Kazuki at 11:46| 『日々これ紙片』

2012年06月15日

1個のライト

赤坂の一画。飲み会に向かう途中で。

aoimachi-2012-06-15T19-44-16-1.png


next4.png
posted by Kazuki at 19:44| 『数・限りなく』

結んで、開いて

その往復をどう考えるか?
それもまた長い間答えが出せなかった、問いの一つである。結ぶのが良いのか、開くのが良いのか。
古典的な啓蒙主義に竿さすならば、端的に開く方が良い。そも啓蒙とは、暗きを開くことである。が、マニエリスムの末席に座る者としては、結ぶ方に肩入れしたいわけである。何より人と人が結びつくことには、喜びがあるではないか。
が、小さな齟齬がずっと頭から離れなかった。それは、憂鬱を「結ぼれ」と呼ぶこと。結婚の先に待つのは憂鬱? と、何やら古めかしい人生訓のようなイメージはさておき、どうも結べば上がりということでもなさそうだ、と。つまりは、固定が問題なのではないか? そう考えられるようになったのは、随分後になってからだった。

next4.png
posted by Kazuki at 13:45| 『日々これ紙片』

2012年06月14日

1個のランプ

自宅の机。弱い光で暮らしています。

aoimachi-2012-06-11T23-19-00-1.png


next4.png
posted by Kazuki at 09:02| 『数・限りなく』

糊について考えていきたい

文化の要(かなめ)は「糊」ではないかと考えている。あるいは、糊をメタファーとして文化活動を語れるのではないか、と。
語源的には「要」という言葉からして、扇子の末端で木簡をつなぎとめる部品を指し、結びつける機能を意味した。形状が「蟹の目」のようだということと、金属である(金目である)ことがかけられてできた単語らしい。何かを組み合わせることに目(視覚表現)が結びつくと、高山学派の門弟としてはそれだけでテンションが上がる。
ところで、糊。流動状になっているものが時間の経過を経て凝固する。その「固まる」際に別々のものを道連れにすることで、糊は複数のものを結びつける機能を発揮する。真ん中に入るのでミディアム=メジュームというわけだが、そこで動かなくなることはすなわち「死」である。つまり、時間を取り込んで死んでいくもの。それが文化活動の要にでんと座っているのではないか? といったことを考えていきたい。

next4.png
posted by Kazuki at 08:56| 『日々これ紙片』

2012年06月08日

たくさんの料理

ブランドリームスの2周年記念パーティーにて。料理、おいしかったぁ〜。

aoimachi-2012-06-11T23-28-27-1.png


next4.png
posted by Kazuki at 23:28| 『数・限りなく』

新しいモノと死の魅力

ここ四半世紀の個人的葛藤は、次の一文に集約されていたと言っても過言ではない。

「ファッションがそもそも<近代>固有の死物フェティシズムの表現形式だと分れば、<死>とファッションの結びつきが構造的なものであることは自明だろう。」高山宏著『目の中の劇場』303頁

死物フェティシズム!
使い捨てを頂点とするあらがい難い消費欲、モノに魅入られる魔術的経験を、これほど見事にあらわした言葉はない気がする。
通常、新しさは元気に結びつくと考えられるはずだが、「新」という漢字の原意は「位牌」である。死人が出ると新しく木を選んで切り倒し、位牌を作ったことからその字はできた。世界に新しくつけ加えられるモノは、のっけから死と根深く関係していた。ちなみに、「親」という字は、一番よく見る位牌が親のモノだかららしい。
ともかく、消費物が持っている死の魅力にどう抗するのか? それなくしては人間社会の全体が成り立たなくなっているとはいえ、未来へのつけを少しでも抑えられないものか。それが、長い間のぼくの大きなテーマだった。カードゲームに惹かれている大きな理由は、「くり返し使われるモノ(=紙片)」を作りたいからだとも言える。

next4.png
posted by Kazuki at 21:23| 『日々これ紙片』